ここでは、岡崎律子さんの音楽の歩みを綴っていきます。


高校生のとき、違う高校(?)の女の子2人に誘われてエレナーを結成しました。岡崎さんはピアノとコーラス担当。
エレナーでヤマハ主催のポピュラーソングコンテストに何度か出場していました。
このヤマハのポピュラーソングコンテストは歴史があり、当時の日本の音楽界の先駆的役割を果たしていたようです。伊藤敏博、チャゲ&アスカもここ出身だったと思います。

短大卒業後、一度は一般企業に就職しますが、退社後、CMなどの曲を作っていました。この頃で23歳くらいだったようです。
CMの曲を作っていたという割には、サンクスの企業CM以外、CMソングが見つかっていません。
※この曲ももともとはOVA『1月にはChristmas』のイメージソング。
わかっていないものは、おそらく、森野律名義での作品だと思います。


85年、岡崎さんの曲が始めてアルバムに収録されました。鮎川麻弥『Candy Game』の「シークレット・ラブ」です。
2ヵ月後にシングルカットされてB面で収録されたことからも、なかなかいい曲だと思います。岡崎さんらしい曲と言えます。このとき私はまだ3歳でした。わはっ^^;

86年には、「ドラマティック・ナイト」(作詞/堤 啓子・岡崎律子 作曲/岡崎律子 歌/エレナー)でつま恋本選に出場しました。[つま恋エキジビションホール 放送:フジテレビ]
残念ながら入賞には至りませんでしたが、この記録は現在の財団法人ヤマハ音楽振興会のページから確認できます。このときの入賞曲の編曲者に十川知司さんの名をみることができます。他の年代のポプコンでは、船山基紀さんの名も。

91年、OVA「1月にはChristmas」でエンディング主題歌の「冬のないカレンダー」を岡崎さんが歌いました。これは、詞と曲がすでに出来上がっていて、知り合いのミキサーさんの紹介で決まりました。このOVAに登場する瑞希の声役が林原めぐみさんでした。この主題歌を聞いた林原さんが、ご自身のプロデューサーである大月さんに岡崎さんの話をしたことが発端となって、ミンキーモモのイメージソング「4月の雪」(『魔法のプリンセス ミンキーモモ・雪がやんだら…』KICA-109)を岡崎さんが歌うことになりました。
「冬のないカレンダー」を歌ったか歌っていなかったかは、おそらくのちの岡崎さんの進路に大きな違いをもたらしたのではないでしょうか。

92年、岡崎さんによる作詞曲・歌の「4月の雪」が収録されたアルバム『魔法のプリンセス ミンキーモモ・雪がやんだら…』が発売されました。この曲の編曲者:西脇辰弥さんは、岡崎さんのご指名だそうです。

93年、岡崎さんが「悲しい自由」で歌手デビューしました。もともと他のアーティストに作った曲の仮歌を聞いたスタッフが盛り上がって、デビューとなりました。



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